東京五輪ボランティアでも問題になっている「やりがい搾取」に至るまでの歴史。

■東京五輪・パラのボランティア 「やりがいPRを」組織委 NHK ニュース


上記のニュースがネット上で話題になっていました。そのほとんどのリアクションが「典型的なやりがい搾取だ」というもの。自己負担の大きさや時間的拘束の長さが集まらない理由なのに、やりがいをPRという結論はズレているし、その「やりがい」とトレードオフにして自己負担や時間的拘束を我慢しろというのは、「やりがい搾取」じゃないかという指摘ですね。


さて、すっかりお馴染みになっているこの「やりがい搾取」という言葉、いつから使われ始めたのでしょうか。そもそも仕事にまつわるポジティブな言葉であったはずの「やりがい」が「やりがい搾取」に転落してしまったのか、その時代の変遷を調べてみました。


■「やりがい」発見の時代

「やりがい」という言葉が、仕事に関連して使われるようになったのがいつからかというと、1980年代の前半。上記の動画の冒頭で紹介されているリクルートの中途採用メディア「週刊 就職情報(後のB-ingであり、現在のリクナビNEXT)」のTVCMで使われるようになったのが、社会的には大きなキッカケになったと思われます。


ここからは完全に個人的な見解ですがバブル絶頂期、日本中が好景気に湧く中で給与水準や福利厚生待遇は、どの企業も高水準で横並びになりつつある中、条件面での差別化は難しくなり、もしくはどの企業にいっても一定水準の待遇が保障される中、個々人の価値観によって違う「やりがい」が企業選びの基準や逆に採用上の差別化点として重要な意義を持ってきたのではないでしょうか。つまり「やりがい」とはあくまで収入面や待遇面が万全だった時のプラスアルファ的な要素だったわけです。


しかし、この冒頭の「ヤリ貝」をみんなで教祖のように拝んでいるCM、この「やりがい搾取」とディスられる時代に見てみると、なんともいえない気持ちになります。


■「やりがい」が当たり前の時代

ヒトフレの更新担当が求人広告の仕事に携わるにようになったのが2000年代の前半。その頃は、なんというか「やりがい」を求人広告上の1つの訴求点として盛り込むことはあらゆる業種・職種で、当たり前のことになっていた気がします。また、この少しあとから「仕事から得られる無形の報酬」という面では同一の『成長』という言葉が求人広告で使われるようになった気がします。


■「やりがい搾取」の時代

「やりがい搾取」という言葉というか概念を提示したのは、東大の研究者である本田由紀さん。2007年に「<やりがい>の搾取――拡大する新たな『働きすぎ』」と題した論文?を発表しました。ここで取り上げられたのは「バイク便ライダー」「ケアワーカー」「居酒屋チェーン店員」といった、仕事上での自己実現度が高い職種が主に取り扱われ、その「自己実現」をダシにして経営者に安く、多く、働かされているのではないかという指摘だったようです。


そしてこの「やりがい搾取」の構図と言葉の流行を拡大したのは間違いなくリーマンショックだと考えられます。日本中が不況になる中で、「やりがい」と「待遇・収入」と両輪あったうちの「待遇・収入」が多くの企業でなくなっていった。その結果として「やりがい」や「成長」といった「仕事から得られる無形の報酬」が本来の報酬とトレードオフである的な言説や考え方が育まれていったのではないでしょうか。あらゆる業界で。変な言い方になりますが、まったく「成長」や「やりがい」がない仕事というのもないわけですから。


また同時に有名な経営者の方などが本人の意図はどうあれ、この「やりがい搾取」を追認したり、奨励するような発言を行い、それが大きく取り上げられたことも、この「やりがい搾取」という言葉を広く流行させる要因になったのではないでしょうか。「ブラック企業」という言葉のあと追うように広まっていた印象があります。


★「やりがい搾取」の時代にやりがいを訴求するには

これだけ「やりがい搾取」と言われる時代に、自社の採用広報において単に「やりがい」を訴求することは、やはり悪手であると考えられます。まずは収入や待遇面、または長時間労働がないなどを求人情報内で訴求した上で、「やりがい」を語ることは問題ないはず。これは「衣食住足りて、礼節を知る」的な「マズローの欲求5段階」的な話であると思われます。


ということで、仕事と「やりがい」の関係について、まとめてみました。