「地頭」を、鎌倉幕府の役職以外の意味で使うのはやめましょう。

以下のような記事が少し話題になっていました。


採用基準における「地頭のよさ」とは何か Konifar's ZATSU


ちゃんと採用について考えようという姿勢があって非常に好感が持てますし、


そもそも地頭がいいという言葉をそのまま採用基準に入れるのはめちゃくちゃイケてないと感じた。


という結論は、本当にまったくその通りだと思います。


じゃ、「地頭」とはなんなのかと問われると難しいですよね。とりあえずWikipediaで調べようと「地頭とは」でググったら、


鎌倉幕府・室町幕府が荘園・国衙領(公領)を管理支配するために設置した職


と、まず出てきて笑いました。もちろん(曖昧さ回避)に、


かつらなどを被っていない本来の髪の頭。または、知識や経験ではない地の頭のよさ。


とありましたが。この説明も、もともとの「地頭」という言葉の誕生の説明としては正しいのですが、「地頭の良さとは?」とは一般的には何を指しているのかという質問には答えられていないような気がします。


そこで、ヒトフレの更新担当もこれまで多くの企業の採用に関わる中で人材要件として「地頭がいい人」という言葉を聞いてきた経験は少なくありません(特に新卒採用ではよく聞きますね)。もちろん、「じゃ、地頭がいい人歓迎って、書いときますね」と言うのではなく、「というと」とか「具体的には」とか、少し具体的に聞いていくわけです。そんな経験から企業が採用基準に「地頭がいい人」といった場合、どのような能力を指していることが多かったのか考えてみたいと思います。


・教えたら、すぐにできる人(学習効率が高い人)

「地頭がいい」という背景には、過去に「地頭がよくない人」に手を焼いた経験があったりするんですよね。何度教えてもできるようにならないとか、研修の内容がさっぱり身につかないとか。そういう企業の教育が成果を出せなかった時に、その原因を個人の資質に求めると「地頭のいい人」が欲しいとなるわけです。実際、同じ教育プログラムを受けても、できるようになる人とそうじゃない人というのは出がちなわけで、こういう発想になるのも仕方ない気がします。


また、まったくの個人的な感覚ですが地頭を求めるのって、わりとベンチャー企業が多い気がするのですが、少人数ゆえに教育にリソースをかけられないという事情がそうさせているのかもしれません。


・論理的思考力が高い人/抽象的思考力が高い人

業種がコンサルとかだった場合には、ほぼこの意味ですね。そもそも地頭という言葉が流行した当時、売れていた「地頭力を鍛える」という書籍も実質的にはフェルミ推定の本でしたし。同時に流行ったクリティカルシンキングなども、同じジャンル?でしょうか。じゃあ、そう言えばいいじゃんと思われるかもしれませんが、最近は「論理的思考が得意な方」「ロジカルに物事を考えられる方」みたいな書き方が増え、実際にシフトしつつある気がします。


・論理的な表現力に優れている人

上記と似て非なる能力。ちょっと何の本かまったく思い出せず、内容もかなりウロ覚えなのですが、


『自分の頭の中にあるアイディアや考えを、そのまま他者の頭の中で再現することはできない。それを他者の頭の中に移すには、論理(言語や数式による)という両者の頭の中で同じ動きをするプログラミング言語のようなものに一度、置き換える必要がある。だから良いアイディアに至る道筋は決してロジカルだったりはしないが、そのアイディアが良いことを他者に説明する時にはロジカルであることが必要である』


みたいな事が書いてある本がありました。つまりはそのようなことです。論理的な思考を組み立てるのは得意でも、それをキッチリ言語化してわかりやすい論理を組み立て流暢に話せる事は、またべつのスキルになるので分けてみました。


実際、面接などで物事を明晰に論理立てて話せる方に多くの人は「地頭よさそう」という印象を受けるのではないでしょうか。わりと地頭が良い人の特徴として「説明がうまい」とか出てくることが多いのですが、これもその能力の話であると思われます。


あといわゆる新卒採用で企業が求める能力ランキングの絶対王者である「コミュニケーションスキル」にも、この能力が含まれている気がします。


・IQが高い人的な意味で

これはWikipediaにあった「知識や経験ではない地の頭のよさ」という意味に近いですかね。新卒採用だから別に経験も求めないし、特別なスキルもいらないし、「意欲があって、地頭さえよければいいかな」みたいな。あまり深い意味で使っていないケースです。


まとめ

そもそも「地頭がいい」という言い回しそのものが、「頭がいい人=学業成績優秀=もっと言うと試験のスコアが高い人」という図式のカウンター的な文脈で使われていたと思うのですが、そういった固定観念が薄くなった今では、役割を終えている言葉のような気がします。


一方で少し面白いのは新卒採用絡みで企業が「地頭のいい人」と言った場合、だいたい、一定以上の学歴を求めるところですね。「地頭が良ければ、そんな勉強しなくてもいい大学入るだろ」という話だと思いますが。


最初は「学業成績が優秀である → 本当に頭が良いとは限らない」じゃあ「本当の頭の良さを定義しよう → 地頭と呼ぼう」だったのに「じゃあ、地頭とはどうやって測るんだ」となり「地頭が良い → 一定以上学業では優秀なはず」と一周してしまっている気がします。


いずれにしても冒頭のブログの方が言っている通り、「地頭が良い人」を人材要件として採用するのはおすすめできません。そもそも「地頭が良い人」と人材要件を定義したとしても、その自分たちの中の「地頭の良さ」を「どう見抜くか」と「(自分たちの思う地頭が良い人を)どう集めるか」というのが現実的ではないからです。というか、例のあの「コミュニケーションスキル」も同じ問題を抱えてますよね。その「コミュニケーションスキル」って、みなさん、どういう意味で使ってます?みたいな。


ただ一方で採用に慣れていない企業が人材要件とか採用基準とか話そうぜとなると、「地頭が良い」とか「コミュニケーションスキル」という話になりがちです。言葉として便利なんですよね。だいたい、「地頭がよくて、コミュニケーションスキルが高い人材」を不必要な業界や業種の方が少ないですから。


なので、そうなってしまった場合は、なぜ人材要件として「地頭が良い人」とか「コミュニケーションスキルと」と言いたくなるかを考えていくと、より具体的な答えがみつかるかもしれません。